「スキー場の窯焼きピザ 岩原のピットーレが教えてくれたもの 」と題されたページがあります。
このページは、「なるほど事典」(楽しく読めて役に立つ、オール書き下ろし記事でお送りする新しい事典)というサイトの1ページです。すみません。勝手にリンクさせて頂きます。
これには、感動しました。30年前の古くからのピットーレを知っている人がいる! ピットーレを理解してくれている!、、、、
特に最後の締めくくりの文章は、身に余る光栄だと恐縮いたしました。
この文章を書いた方に、この場をお借りして「ありがとうございます。」と伝えたいと思います。
以下引用させていただきます。
リゾート開発華やかりし頃、当時の舞台となっていた新潟県・南魚沼郡湯沢町には、上越新幹線の越後湯沢駅が開業し、たくさんのリゾートマンションがデベロッパーにより開発され、売り逃げされました。
マンションの乱開発は、町に住民税の収入をもたらし、潤いましたが、文化的にも都会人に答えるべくいろいろなものができました。湯沢高原ビールをはじ め、その多くは廃業しましたが、PIT INNに並び、先駆者であり今でもなお日本のイタリアンレストランに多くの影響を与えたのは、岩原スキー場の中腹にある、LA LOCANDA DEL PITTORE です。
この頃はまだ、 窯焼きピッツァ、ナポリピッツァなどというものを出 す店が、東京ですら皆無でした。その頃から、スキー場のど真ん中で、リゾートをたしなむハイソな客をターゲットとして、この店はオープンしたのです。ス キーシーズンの昼食時は、2時間待ちは当たり前。当時としては、東京でも食べられないほどの味でしたから、それも納得できます。
今で は、小型の、「なんちゃって窯」で営業している窯焼きナポリ風ピザを出す店もたくさんありますが、元はといえば、ピットーレにルーツがあります。宅配のサ ルバトーレが評価されるような土壌も含め、Jリーグに対するキャプテン翼のような役割を、日本ピッツァ界にに対して、ピットーレが担ってきたわけです。
たまたま手元に古い写真がありました。この写真の右の建物 ロッヂパナシアの中でピザを焼き始めたころの写真です。現在のピットーレは、左の黄色い看板の麺茶屋Lantanの場所に建っています。麺茶屋Lantanは、ラーメン屋でした。パイコーラーメン、肉味噌ラーメンが人気でしたが、ピザの人気に太刀打ちできませんでした。手前にはまだクワッドリフトはありません。
とーっても古い話で、すみません。
まだまだピットーレは元気ですよ!